三日坊主のつぶやき -cootanと私  そして める -

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母との会話  震災後2回目

本日2度目のアップです。


先ほど、兄の携帯電話が通じ、母と一緒にいたため地震後2回目の母との会話をすることが出来、
(今までは携帯電話が通じず、固定電話から兄とだけの会話でした)

いろいろと避難所の様子が聞けました。


避難先では、周りの皆さんがとても良くしてくださって、食事もおにぎりにおかずを付けていただけたり、父のリハパンの交換もしていただけるとのことでした。

きちんとしたクリニックもあるとのこと。

そういう意味では、数多くある避難所の中では、恵まれた環境なのだと思います。

母も、「本当にありがたいの。」と、心から感謝していました。


ただ、その避難所がある村も屋内退避の範囲内になってしまったため、避難先の小学校は正確には原発から直線距離で38、9キロくらいのところにあるのですが、避難している人たちの半分は、他のところに移って行ったそうです。

本来ならば、まだ室内退避だけなのですから、移動まではしなくてもいいはずなのですが、安全を期してということなのでしょう。

やはり、皆さんの恐怖心はかなり募っているようです。


でも、母は、「もうここから動きたくない」と言っていました。

明るい声で話してはいましたが、きっと身体的にも精神的にも疲れがあるのだろうと思います。

「移動したいのなら、兄夫婦だけが行けばいい。若い人たちは将来があるんだから。
お父さんを連れて移動するのは本当に大変だから、私たちは、もうここでどうなってもいいから」というのです。


兄は一緒に別のところに行こうと思っているようでしたが、ガソリンの不安もありますし、もし移動しろと言われても、下手に動いて途中山の中で立ち往生でもしたら、この寒い時期、どうなるかわかりません。

原発の事故で追い立てられる住民に、国や東京電力はもっと的確で確実な支援をして欲しいと切実に思います。

一度遠くの福島市まで行ったのに、そちらの避難所に行かず、なぜ、地元に近い今の避難所に落ち着いたのか聞いたら、夜、真っ暗な中で、土地勘もなく、どこへ行けばいいのかわからなかったので、車の中で二晩過ごし、仕事のことも気になったので、土地勘のある近い村まで戻って来たというのです。



ここで、声を大にして言いたいのは、


「大地震に遭っても被災せず、原発の事故さえなければ自宅での生活が出来ていたのに、

原発事故のせいで車椅子の父を連れて避難しなければならない年老いた母に、

国や東京電力は何をしてくれているのか?

避難が必要というのなら、責任を持って移動手段の確保や避難先の誘導などして欲しい」

ということです。



壊れてもいない家を捨てて来なければならなかったのですから。

それだけの責任はあるでしょう。




福島県の浜通り地方は、県内の他の地域に比べると冬も比較的寒くなく、雪もめったに降らないいいところです。

その土地を離れ、春まだ遠いこの時期に、より寒さの厳しい土地に向かって避難しなければなりません。



本当に悔しくて悔しくてたまりません。








Comment

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まゆみちゃん。
私も悔しいです。色々な事を考えると、眠れません。いつも涙が出てきます。

家族の前では我慢していますが、悔しくて切なくて、被災、避難している方々の事、動物達、家族や家をなくしながらも、救援や治療に当たっていらっしゃる方々のことを思うと、耐えられなくなります。どこに気持ちを持って行っていいのか、わかりません。

原発に関しては、最悪の場合を想定していなかった、ということが信じられません。本当に無責任だと思います。

原町の親戚、友人もまだ、町から出ていない人も多いです。情報を聞いても、確かにガソリン不足、また、手助けがなく、動くことができない人もいるでしょう。

みんな大切な命なのに。
とにかく強い気持ちで行かなければ。

まゆみちゃんは強い。
ご両親も。

再会できると信じてします。

どうか原発が落ち着いてくれますように。そして、帰れますように。

まとまらない話でごめんなさいね。



2011年03月15日(Tue) 23:17
管理人のみ閲覧できます
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2011年03月15日(Tue) 23:24
★Hitoeちゃん
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ひとえちゃん、ありがとう。
子供の時と同じ呼びかけだね。
あのころが懐かしいね。

離れていると、いろいろ考えてしまうから、余計辛くなるのかもしれないね。
母や兄と話していたら、現地にいるとそれどころじゃなくて、落ち込んでいる暇もないみたいに感じられた。
きっと実際にそうなんだと思う。
地震だけだったらね~
もっとあきらめもするんだろうけど、今回の原発事故は本当に余計だよね。
ひとの土地に危険なものを作るなら、それだけの対策を立てろといいたい。
あまりの惨事に、頭が真っ白になってるように見えて、「大丈夫か?」と思った。

ご親戚やお知り合いの皆さん、もう避難なさった?
最終的に残っていた人たちは、自衛隊が出動したみたいね。
20キロ圏内の人たちは移動させてもらえたからいいものの、問題は屋内退避の20~30キロ圏内の人たちだよね。
外に出るもならず、避難するもならず。
自宅のある場所は、この距離に入るので、早めに避難して置いて良かったのかも。

ひとえちゃんも、お引っ越ししてだいぶ経つよね?
私も少し前まではずいぶん長いこと帰っていなかったんだけど、父のことでちょくちょく帰省するようになって、改めて「暮らすにはいいところだなぁ」って思い始めてたところだったの。
だから、こんな形で、「もしかしたらもう帰れなくなるかもしれない」と思って、すごくショックだった。
いつか原町で会えたりしたらいいね。
きっとそんな日は遠からず来るよね。

がんばろう。
2011年03月16日(Wed) 18:57
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ご無沙汰しています。
こちらの勝手な状況を書きます。
もし何かのお役に立てれば。

オットの実家がいわき市内で第一原発から40キロ。
昨夜オットが義母を迎えに行きました。
行きは6号線。帰りは常磐道です。
緊急避難車両としていわき市内から三郷まで乗れました。
そんなこともあるようです。

Mayu-☆さんのご家族のご無事と、一日も早い避難生活の終了をお祈りいたします。




2011年03月16日(Wed) 22:41
★ポーさん
編集
お義母様、無事救出出来て、本当に何よりでした。
いわき市だと、原発よりも南側だから、現場を越えずに行けますもんね。
お義母さまは、おひとりだったのでしょうか。
きっとホッとされたでしょうね。
本当に良かったです。


2011年03月17日(Thu) 11:05












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