三日坊主のつぶやき -cootanと私  そして める -

愛猫クータンが☆になって  2代目 める と お花の日々
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レオもみおんも(爆)

「つづく」にしてしまい、ご心配をおかけいたしました~~~(;^_^A

コメントいただきっ放しで申し訳ありません。


皆様の予想通り、避難所生活でおしっこを我慢していたせいだろうと思いますが、レオのおしっこの出が悪くなり、くしゃみは連発するわで、体調が落ちてしまいました。

最初、引き取った時には割合元気で食欲もあったのですが、どうもおしっこの出が悪い気がして、みおんの抗生剤を飲ませて様子を見ていましたが、母も合流した翌日23日に、サワヤカ先生のところに連れて行きました。
診察の結果、オシッコは出てはいる(膀胱には溜まっていない)ようだとのことで、その時には、とりあえずオシッコのためのお薬(抗生剤と尿道を広げるお薬)をいただいて来ました。


ところが、その翌日から食欲が落ちてしまい、お水も飲まなくなってしまいました。

ご飯やお水を口にしたい様子は見えるのですが、明らかに口が痛いような素振りをするのです。

これはまずい!と思い、25日に2度目の通院をして、口の中を見ていただくと・・・・・



なんで~~~?!!!


右側の口の中の合わさり目の辺りが盛大に化膿していました(T-T)



あ~、こりゃ痛いわ。

ご飯も食べられないわけだ。



でも、化膿しているところはすでに爆発していたので、きっとこれで楽にはなるはず。

ということで、その場では抗生剤の注射をしていただき、自宅でもするようにということで、注射2本と輸液セットをいただいてきました。


まさか、レオに輸液をすることになろうとは思わなかったな~(爆)


その後、レオはみるみる元気になっています。

オシッコ玉の大きさはまだ小さめですが、詰まるようなこともなく、くしゃみも出なくなり、食欲も戻り。

というか、食に対するワガママも復活し。


これならもうオッケだね。

あ~、よかった!



と思ったのもつかの間。

今度はみおんがくしゅんくしゅん言いだして・・・(/_;)



こりゃ風邪がうつったな~

ということで、今度はみおんが通院。

29日に、飲み薬をいただいて来ました。



ところが、一向にくしゃみは良くならず、そればかりか苦しそうな咳まで出てくる始末。

昨夜は夜中までずっと眠ることも出来ずにゲホゲホしていて、まさかこのまま?なんて、嫌なことまで考えてしまいました(T-T)


で、今朝、朝一でまたまたサワヤカ先生のところへ。


たぶんレオからうつったものと思われますが、カリシウィルスによる風邪とのことで、サワヤカ先生のお話によると、「直るまで結構時間がかかるんだよね~」とのことでした。


病院に行くととても怒りんぼさんになるみおんなので、さすがの私もちょっと注射や輸液の自信がなく、みおんにはその場でインターフェロンの注射をサワヤカ先生にしていただきました。


帰って来てからは、ちょっと楽になったのか、今はぐっすり寝ています。


明日は、レオの余った輸液があるので、それをみおんにして、明後日、もう一度インターフェロンの注射をしに連れて行きます。



3001leomion.jpg

せっかく仲良くなって、だんだん近づいて来てたのにね。

それがもとで、風邪かよ~  みたいな。



みおんは、今も私のひざの上で小さく丸まって寝ています。

早く良くなろうね。

そうすれば、またレオ兄ちゃんと一緒にくんずほぐれつ遊べるからね。






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もっと怒濤の急展開

いやはや、世の中何が起こるか本当にわからない。

大地震と津波に襲われてから20日も経っていないのに、この間にどれだけ多くのことがあったことか。

いろんなことに怒り、いろんなことに感謝して。


でも、Mayu-☆家、やっとどうにか落ち着くことが出来たような気がします。



これまでの経過を、記録のために書き留めておきます。



3月11日(金)  午後2時46分   大地震と、それによる大津波が発生。

          父の入所している介護施設が倒壊。

          夜になって、父は奇跡的に救出されていたことが判明。

          施設が壊滅状態のため、自宅に引き取られる。


3月12日(土)  第一原発の爆発により、20キロ圏内の住民に避難指示。

          夜、兄が両親を連れて自主避難。(自宅は原発から24キロくらい)

          土地勘もなく、停電で真っ暗なため行き先が決まらず、川俣村で車中泊。
       
3月13日(日)  福島市に移動するも、行き先が決まらず、車中泊。

3月14日(月)  飯舘村草野小学校の避難所に落ち着く。

3月16日(木)  飯舘村一号館に移動。

3月18日(金)  レオをピックアップして東京に連れて来ていただく。

3月19日(土)  避難所の閉鎖に伴い、郡山の避難所に移動。
          (寝たきりの父がいるため、避難のバスには乗せていただけず。
           歩ける人だけ乗車OKとのこと。もちろんペットも不可)

          東京で、レオを引き取る。

3月20日(日)  取手市の介護施設で、父を受け入れていただけることに。

3月22日(火)  各方面のご協力をいただき、郡山から取手市の介護施設まで搬送していただく。

          その施設まで母を迎えに。


とまあ、時系列的にごくごく簡単に書くとこんな具合で、震災後10日ほどで、父と母は何とか落ち着くことが出来ました。

周りの方たちにとても良くしていただき、こんな状況の中では最高にラッキーな展開だったと思います。








今、父は介護施設の方で面倒をみていただいています。

取手まで搬送していただく日の朝、少し熱を出してぼんやりと意識がない状態になった父、到着した時にも呼びかけに全く反応せず目を閉じたままで、このまま寝たきりになってしまうのでは?と言うこちらの心配をよそに、翌日からは車椅子に座れるようになりましたし(かなり傾いていたりはしますが>爆)、笑顔を見せたりもするようになりました。

驚いたのは、怪我は頭だけではなかったこと。

施設に到着して、院長先生が診てくださった際、肩のあたりにものすごい打撲の跡がありました。

被災後11日も経っていたので、ひどく内出血していたのが黄色く変色して、かなり広範囲にそんな状態。
直後はずいぶん紫色になったでしょうし、父もだいぶ痛かったのではないかと思います。

頭の傷も、絆創膏を貼ってあったところ以外にも切り傷がありましたし、手の甲にも深い傷跡がかさぶたになっていて、津波の中から助け出していただく際に、どんなに大変だったか、改めて思い知らされました。

母から聞いた話によると、病院はてんやわんやの状態で、きちんとした引き継ぎもなく、とにかく家に連れて帰ってください、とのことで、病院の着物を着せられた状態の父を連れて帰宅したそうです。

もちろん父はずぶ濡れで泥をかぶった状態だったとのことで、髪も耳の辺りも泥だらけだったと言っていました。

まさに「九死に一生を得た」というところだったのでしょう。



取手市の介護施設では、診てくださった先生が、念のため肩のレントゲンを撮った方がいいとおっしゃるので、25日に肩のレントゲンと、脳のCTを撮っていただきました。

頭の方は脳内の出血もなく大丈夫だったのですが、肩の打撲はやはり鎖骨を骨折していました。

ただ、手術などの必要はなく、力をかけないようにしておけば直るとのことで安心しました。







私のところで一足先に落ち着いたレオですが、みおんがレオ兄ちゃんにシャーシャー怒ったのは、たった二日だけ。

3日目からは思い出したらしく、以前のように「うるる♪」と飛びついて行くようになりました。

レオさん、大迷惑(笑)

もう最近では、2匹でくんずほぐれつ仲良く遊んでいます。


ところが、そのレオにもまたまた大変なことが・・・



長くなるので、それはまた日を改めて。


2701beni.jpg



父が東京に来られた経緯 (3月20時点の回顧録)

以前書きかけてそのままになっていた記事を、今頃見つけました。

一体どんだけ放置していたんだ、ぢぶん(爆)

せっかく書いたので、もう半年も過ぎていますが、当時の日付のままで密かにアップさせていただきます(⌒o⌒;




怒濤の展開

前の記事をアップしてから、たったの2日しか経っていないのに、怒濤の展開がありました。


まず、レオのこと。


姪がツイッターで、ボランティアで避難所への物資の運搬を計画している人を見つけ、母や兄たちがいる避難所へも行ってくれるよう頼んでみたところ、快く引き受けていただけました。


その方は、若いのにお化粧品の会社を経営しているとのこと。

姪に言われてみてみたら、なんと!

私が今気に入って使っているファンデーションの会社でした。


こんな奇遇なことがあるんだ~

と、二人でビックリ。



姪がツイッターで避難所へ届けていただきたいものを伝えるやり取りをしている間に、ふと、避難所にいるレオをピックアップして、帰りに東京に連れて来てもらえないか聞いてみることにしました。

ダメ元で。


すると、「帰りには希望者も乗せて来るつもりなので、その兼ね合いもあるけれど、OK!」とのお返事をいただきました。



ありがたいことです~~~~~~m(__)m


レオも避難生活1週間。

ずっと車の中でストレスもたまっているでしょうし、何よりレオのことを心配する母たちの心の負担だって大きいはず。

そのうえ、もしこの後また別の場所に集団で避難することになったら、ペット同伴は禁止という話も出たとのこと。


え?それは、ここに捨てて行けってことですか?

この見知らぬ土地に???


いよいよ事態は切羽詰まっていたこともあって、ダメ元でお願いしたのですが、本当に良かった。



ということで、昨日仕事が終わってから、姪と一緒にその方のお家までレオを引き取りに行ってきました。



それにしても、ボランティアでそうして活動する方の行動力。

見ず知らずの私たちに対するその親切さ。

「親切」なんて言う軽い言葉では言い表せないくらいのご恩に、心から頭が下がります。

本当にありがとうございました。


世の中には、バイタリティーあふれる素敵な人もいるんだ。

私よりもず~っと若いのに。

てか、娘みたいな年齢なのに。

私も、自分で何とかしなくちゃと言う気になりました。


その後の動きについては、また続きで。








レオは、今、私のところでのんびり寝ています。

ただ、みおんがあまりにもおバカで、レオに唸ってばかり。

唸るどころか、「シャー!!」の連発で(爆


自分が田舎に帰った時には、黙って受け入れてもらっているくせに、避難の身の上のレオ兄ちゃんに「しゃー!」だなんて、ほんとうに恩知らずな みおん です。






あれから1週間

長い長い、本当に長かったこの1週間。

それなのに、まだ1週間しか経っていない。

そんな気もして。



幸いなことに、実家の両親や兄夫婦は、よい避難所に移ることが出来ました。

でも、故郷の状態は、ますます悲惨なものになっています。


今回のことでの南相馬市に対する対応には、本当に怒りを禁じえません。

桜井市長が「屋内退避地区に指定されただけで、まるで汚染地域扱いだ」と訴えていましたが、本当にどうしてこんな仕打ちが出来るのか、理解できません。


今いる避難所も、その村の一部が屋内退避地域に引っ掛かっていると言うだけで、まるで危避地域扱いで、ガソリンなどは届かないそうです。

今日は、母の薬がなくなったとのことで、知り合いの病院に頼んでお薬を郵送していただくことにしましたが、配達が母の避難している村までは届けてくれないので、その手前の町の郵便局留めにして、届いたら兄に受け取りに行ってもらうことにしました。
ガソリンも残り少なくなっている中で。


もっと悲惨なのは、南相馬市内です。

屋内退避地域で、どれだけの病院や特養施設などの弱者がそのまま置き去りにされていることか。

屋内退避地域に指定されたと言うだけで、どれだけ無意味に危険視され見捨てられていることか。


実家のある場所も、屋内退避地域に入っています。

早めに避難したので、今は避難所で過ごしていられますが、もし避難するのが遅かったら、と思うと、本当にぞっとします。



まさか、今の日本でこんなことが起きるなんて、信じられない。

政府はいったい何をしているんだろう。

民間人である運転手が、無知ゆえに行きたがらないのは仕方がないとしても、どうして自衛隊員をもっと派遣して救出しないのか、物資を届けないのか、政府の無能さ、無責任さには声も出ません。


これだけ報道されているのに、菅首相の耳には届いていないんだろうか?
もういっぱいいっぱいで、そんな余地すらないのかもしれません。


空虚な首相声明なんて、聞きたくもありません。

ただただ不愉快になるだけ。



地震が起こって一週間。


南相馬市やその近辺では、地震のせいでもなく、津波のせいでもなく、人災が依然として進行中であることを、多くの方に知って欲しいと思います。



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