三日坊主のつぶやき -cootanと私  そして める -

愛猫クータンが☆になって  2代目 める と お花の日々
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二七日(ふたなのか)

クータンが亡くなって、今日で2週間。
人間で言うところの「二七日(ふたなのか)」です。

人間が考え出した仕組みに当てはめて考えるのも妙なものだと思いますが、つい、そんなことを考えてしまいます。

よく、生前の行いが悪いと、畜生道に落ちて動物に生まれ変わり、行いが良いと人間になり、さらに良いと天上へ行く、なんて言いますが、それは人間の驕り。
勝手な解釈だと言う気がします。

もしそれが本当なら、クータンはあんなに良い子だったのだから、次の世では人間に生まれ変わってしまうのかな。
それとも直行で天上行き?

私は、次の世に生まれ変わっても、また猫のクータンと、人間の飼い主の私で出会いたいと思っています。
こんなに辛い別れをまた経験することになっても、やっぱりもう一度クータンと一緒に暮らしたい。
心からそう願っています。

あ、その前に、そもそも私がまた人間に生まれ変われると言う保証はまったくないんですけどね(爆)





今日、昔の写真を整理していたら、8年~9年前のクータンの写真が出てきました。
まだネットを始める前、フィルムの一眼レフで撮った画像です。

ずっとカメラを持っていなかった私でしたが、招待していただいたパーティーのビンゴゲームで一眼レフカメラが当たり、お花やクータンを撮り始めたのでした。

スキャナーで読み込んだものなので、あまりいい画質ではありませんが。



1999年4月9日 13歳頃のクータン

99040901.jpg

ベランダで日向ぼっこが好きだったね。
こうしてよくゴロンゴロンして、埃だらけになって、ポンポン叩いてもらうのが大好きだったね。
「ぐるにゃん♪ぐるにゃん♪」て、ご機嫌だったっけ。


1999年8月4日

99080401.jpg

艶々のピカピカ。
クータンが座っているソファの肘掛には、今も爪跡が残っています。
かくれんぼ鬼ごっこをしていて、ダッシュした時にクータンが付けてしまったもの。
懐かしいなぁ。


1999年11月9日のボンレスハム、 じゃなくて~
99110901.jpg

え?!!っと思うほど太っていた頃のクータン。
もうだいぶ長いこと、こんなデブデブだったことを忘れていました(笑)

そういえば、高いところから降りる時に、自分の体重が重すぎて、よく「ンギャッ!」って声が自然に出てたよね。

その割には意外と身軽で、「デブでも猫~」って、よく笑ったよね。


いつでも、クータンのことを想ってるよ。





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魔法の言葉

メチャクチャに忙しかった週末が終わり、今日から4連休。

朝から素晴らしい秋晴れ。



25日土曜日は、仕事で12時間の留守になり、クータンが亡くなっていなければ、猫友のた~こさんに来ていただいてクータンの面倒を見ていただく予定でした。
自分自身、詰まっている仕事に気が重い日のはずでした。


もうクータンのことを心配する必要もなく、仕事に打ち込めました。

どんなに辛くても、ニコニコしていなければならない仕事。

でもそれが逆に私を救ってくれています。
仕事の間だけは、クータンの居ない寂しさを忘れ、心から笑っていられます。

そして、仕事を終えて一人の部屋に帰宅しても、不思議なことに、その反動もなく落ち着いていられる自分に驚いています。

心配しながらもクータンにお留守番をさせなければならないストレスを考えたら、クータンの体が無くなっていつも一緒に居られるようになった今の方が、かえって気持ちが楽だったりして。
クータン自身、辛いことから解放されたのかなと思えることが、せめてもの救いです。


今朝も、起きてからクータンのお水を取替え、お花のお水を替え、クータンの写真に向かっておはようを言って。


クータンの写真を見ていると、本当にいつもそのかわいさに惚れ惚れとしてしまいます。

時間があると、昔のクータンの画像を見ています。

悲しいと言う気持ちよりも、クータンのことが今でもかわいくてかわいくてたまりません。

「クータンはほんとうに美人ちゃんだよね~、いい子ちゃんだよね~」

と、つい顔がにやけて来て、これはもう永遠の親ばかですね。



それでも、たまに寂しさが込み上げてくることがあります。

そんな時には、

「クータ~ン」

「クックっちゃ~ん」

「クッタッポ~ン」

今までと同じように、でたらめな呼びかけをします。


そうすると、込み上げていた気持ちが、す~っと静まっていって。


クータンが居た時にも、いつも何か悲しいこと嫌なことがあるとクータンを抱きしめて、

「あぁ~、幸せだね~」と、あえて口にすることで、自分を励ましてきました。


それはクータンが居なくなった今も同じ。

クータンへのつぶやきは、私の幸せの呪文。

魔法の言葉なのです。





cooobed.jpg


これは2000年の夏ごろのクータン。

この後、10月31日に突然の危篤宣言事件が起き、翌年2001年のお正月明けには、腹部ヘルニアの手術をしました。

この頃は、なぜか腹部が禿げ上がっていました。

ヘルニアの手術が済むと毛が生えて来ましたので、ホルモンバランスが狂っていたのかなと、後になって思いました。

ダメダメなママで、ごめんね。


私はずっとカメラを持っていなかったので、若い頃のクータンの画像がありません。
クータンは、うちの子になった時にはもうすでに6キロもある成猫でしたので、子猫の頃の画像は言うに及ばず。

100403pretty_20081028115625.jpg


亡くなる2週間ほど前でもこんなにかわいかったのですから、子猫の頃はどんなにかかわいかっただろうなぁ。(親ばか全開)



感謝の気持ちをお伝えしたくて

クータンと私へのたくさんの皆様からのメッセージ、ありがとうございます。

本当に、どんなに慰められたことかわかりません。

皆様への感謝の気持ちをお伝えしたくて、鍵コメでいただいた皆様へも、書いてくださったお名前でレスをさせていただこうと思っています。

もし、ご希望でない方がいらっしゃいましたら、その旨、この記事へのコメントでお申し付けください。


時間がかかるかもしれませんが、一言ずつでもお礼を申し上げたくて。


ありがとうございます。



初七日 

昨日、10月23日は、クータンの初七日でした。

早いもので、と言えばいいのか、まだ、と言えばいいのか。

この1週間の時間の経過は、自分でも表現が出来ない不思議な感覚でした。




おかげさまで、私は落ち着いています。
驚くことに、以前から自分で想像していたよりも、静かな気持ちで過ごせていると思います。


誰かと電話などで話している時に、つい込み上げることはありますが、一人でいる時にメチャメチャに泣きたくなることもありません。

何かをしている時に、つい意味もなく「ね~?クーターーーン」と呼びかけることがよくありますが、それに返事がなくても、それほど辛くなることもなく、

クータンの写真に向かってしょっちゅう話しかけていますが、そこにクータンの体がないことに、いたたまれなくなるほどの悲しみを覚えることもなく。




最期までがんばり抜いて逝ってしまったクータンの死に、どこか心の中で納得しているのかなと言う気がします。

小さな「ごめんね」はたくさんありますが、大きな意味の悔いはないのかもしれません。



精一杯介護させてもらえた最後の4ヶ月間。

クータンのことが愛おしくてたまらなくて、何度も泣いて、そうしているうちに少しずつ覚悟が決まって行き、クータンが逝ってしまった瞬間に、8年前から感じ続けていた「クータンの死」への恐れを、なんとか昇華させることが出来たのかもしれません。

私のために長い時間をかけていろんな差配をしてくれて、本当に本当にがんばってくれたクータンに、もうそれ以上を望むことは出来ないと、素直に思えるのです。






まったく寂しくないというわけではありません。

生活のすべてにおいて、クータンの不在を感じる瞬間ばかりです。


冷蔵庫を開けて、クータンが最後に食べた猫缶の残りを発見し、クータンが食べることの出来なかったフードの残りや、使い切れなかったお薬やぺットシーツを見ては、胸が痛みます。

最後の介護の時期、お洗濯の回数が増えていたので、買いだめした洗剤。

どんどん使ってもいいように買い置きしたティッシュの箱。

サークルの中をきれいにしておこうと思って買った粘着テープのコロコロ。


どれを見ても、一つ一つが胸にチクチクと刺さります。



テレビをつければ、音の大きさが気になって、でも、「もうそんなことを気にすることもないんだな」と思ったり、

掃除機も、もう気にせず使えるんだな。

もう焼き魚でも何でも、好きなものを食べていいんだな。

仕事に行く時に、部屋の換気を気にしたり、暑さ寒さに気を配ることもなく、急いで帰る必要もなく、もうクータンのことを気にすることもなく、お泊りだって出来る。


そんな悲しい自由をひたひたと感じています。

クータンがいてくれた時の不自由さは、とても暖かく満ち足りていました。

クータンがどれだけ私の生活のすべてだったか、クータンがいなくなった今、痛切に感じています。



でも、その失われてしまったことを想って泣いていては、なんだかクータンに申し訳ない気がして。

「ママ、せっかくのワタシの努力、無駄にしないでね」

と言っているような気がして。




クータンの体を天に返した次の日は、仕事でした。

細々とした注文があるちょっと大変な感じの内容で、クータンを亡くしてしまった直後ということもあり、仕事に行くのが正直辛くて重い気持ちでした。

出かける時に、クータンの写真に向かって、いつもそうしていたように、「じゃあね、行って来るからね。いい子で寝んねして待っててね」と言った瞬間、左側の胸の上の方が、フワッと暖かくなりました。

それは、いつもクータンを仰向けに抱っこした時に、クータンがそっと手を当ててくれる場所なのです。




「あ、今、クータンがここに入った」



と思いました。



私は今まで、正直に言うと、「体はなくなっても、魂はいつも一緒だから」なんて、ただの慰めの言葉だと思っていました。
クータンがいなくなってしまったら、ものすごい喪失感でどうなってしまうかわからないと、本気で恐れていました。

でも、そのポッとした暖かさを感じた瞬間に、「いつも一緒」と言う言葉を、確かなものに感じられた気がしたのです。


この1週間、想像して恐れていたよりも落ち着いた気持ちで過ごすことが出来たのは、そんなことがあったからかもしれません。



まだクータンの夢は見ていません。

なんとなく、これからもクータンの夢は見ない気がしています。


でも、それでいいと思っています。

私の中で、クータンはまだ生き続けていると思うから。



実際には、まだまだへなちょこで、これからもクータンのことを想って泣いてしまうことはあると思います。

矛盾しているかもしれませんが。






今はまだ、胸がつかえているような感覚が、四六時中ずっと続いています。

何気ない生活の中で、チクチクと痛みを感じることもしょっちゅうですが、それも含めてみんな、クータンと私が積み重ねて来た21年間の証であり、その続きなのでしょうね。


「猫見知りのクータンだから、ずっと1頭飼いのままで最後まで看取る」と決めた時から、自分で引き受けなくてはならない痛みなのだと思っています。



でも、その痛みを、私が恐れていたよりも軽くしてくれたのは、他ならぬクータンと、こんなへなちょこな私を支えてくださるネットのお友達だと感謝しています。


多くの皆様からの暖かいメッセージ、

クータンのことをブログに書いて偲んでくださったお友達。


うれしくて何度も読み返しています。
ありがとうございます。

「クータンが死んでしまったら、どこまでも果てしなく落ち込んで、きっとネットの世界からもスピンアウトしてしまうかも」なんて、ずっと笑い話のように言い続けてきましたが、それはまったく逆でした。


へなちょこな私を心配して、支えてくださったのは、ネットのお友達の力でした。


私は大丈夫です。

ぼちぼち元気を出して、やって行きます。


これからも、どうぞよろしくお願いします。



               クータンと皆様へ     たくさんの感謝を込めて




その後  10月20日

昨日も一昨日も、自分で想像していたよりもちゃんと眠れています。

でも、寝ていても、夜中の4時ごろと、朝は7時ごろに目が覚めてしまいます。
クータンがいた時に、夜中にたびたび目を覚まして、様子をチェックしたりお水を飲ませたりしていたので、それに慣れていた体のサイクルが、まだ勝手に反応してしまうのが寂しくて。



朝起きて、クータンの写真に「おはよ~」を言って、お供えしてあるお水を取り替えたら、もうすることが何もありません。



今までは、クータンにご飯を食べさせたり、お薬を飲ませたり、時間を見て皮下輸液をしたり、シッコの始末をしたり、あれやこれやとすることがたくさんあって、その一つ一つのことが、とてもうれしくて幸せでした。
クータンを抱っこ出来ることが、私にとって無上の喜びでした。


でも、それももう出来ません。



仕方がないので、パソコンを立ち上げて、ただボ~ッと自分のブログに書いていただいた皆様からのコメントを何度も読み返したり、他の方のブログを拝見したり。

でも、そうしてリビングに背中を向けていると、クータンがいなくなってしまったことを実感せずに済むのです。


だいぶ前から、クータンは少しずつ自分の存在を消しつついたのだと、今になって思います。



一緒になってリビングを駆け回って遊んだ若いころ。

私が帰宅すれば、リビングのドアのところまで必ずお迎えに来てくれていたのが、まったく気が付かずに寝ているようになり、
昔はお返事にゃんこで、「クータ~~~ン」「ニャ~~~」「クータ~~~ン」「ニャ~~~」と、何度でもお返事してくれたのに、最近ではまったく鳴くことすらありませんでした。

以前はよくパソコンをしている私のところに来て、前足をかけて抱っこをせがんでいましたが、それも目が見えなくなってからは出来なくなっていました。

そして、今年になってからはめっきり足腰が弱って、寝てばかりになり、よく「いるんだかいないんだか、全然わからないの」と、笑い話のように言っていたものです。



でも、それもすべて、クータンが私のためにしてくれていた準備だったのかもしれません。

自分がいなくなっても、私が辛くなりすぎないように、少しずつ自分の気配を消していこうとしていたのかな、と言う気がします。

今までに起こした何度かの命の危機も、私にその覚悟をつけさせてくれるための出来事だったのだと思います。





そして、クータンはその出来事の中で、覚悟だけでなく、素晴らしいものを私に残してくれてもいたのだと気付かされました。






今日は夕方から打ち合わせが入っていて、それが済んでから、また長年の習性ですぐに帰宅しました。
もうそんな風に急ぐ必要はまったくないのに。


「ただいま、ただいま~~~!クータン、今日もいい子で寝んねして待っててくれた?」

と言って、いつも真っ先にクータンを抱きしめていたのに、そのクータンはもういません。

そのことが寂しくて寂しくてたまらず、「ただいま」の後、クータンの写真の前にぼ~っと座るだけ。




そうしているうちに、ふと、お別れの時にクータンの遺髪(毛)をいただいていたのを、開けてみようと思い立ちました。
それまでは、開けてみたいという気持ちにはなっていなかったのに。




丁寧に包まれた小さな包みを開くと・・・・・







たぶんクータンの喉元の毛だと思われる、白い毛の混じった黒い毛が、きれいに揃えられた束のまま入っていました。


ちゃんと手触りを感じることが出来るくらいの量。






あぁ、ここに、ちゃんとクータンがいた。









それを、崩さないようにそ~っと撫でていたら、突然、涙と同時にいろんなことが胸の中に降って来ました。



4年前、クータンが癲癇の発作を起こしてしまった時、必死になってインターネットで検索して、猫バカさんの世界に足を踏み入れました。
あの癲癇発作がなかったら、たぶん私は猫バカさんの世界に目を向けることはなかったと思うのです。

そして、それから4年の間に、本当に素敵な猫バカさん仲間に出会うことが出来ました。

同じような悲しく辛い思いを乗り越えて、心から共感してくれるたくさんの友人。

クータンがさまざまな状況に陥るたびに、猫友だけでなくお花の仲間、そして多くの皆さんが、クータンと私のために力を貸してくれました。



そうして結ぶことが出来た大切な絆。



クータンは、それを確信したから、逝くことを決めたのかな、と言う気がします。


「ママは一人じゃないから、大丈夫」

「私はいなくなるけど、みんなが支えてくれるから」


そう言っている気がします。

そのすべてを時間をかけて準備して、ギリギリまでがんばって、そして逝ってしまったのだと思います。

見送ってもらうために一番いい日を選んで。



その日に逝くために、ずいぶん無理をしていたのかな、とも思います。

10月に入ってからのクータンは、もう一度もゴロゴロを言いませんでしたから。



無理をさせてしまって、ごめんね。 

無理をしてくれて、ありがとね。 クータン。



そして、私のためにいろんなことを準備してくれて、ありがとう。


そう思ったら、クータンに対する愛おしさと感謝の気持ちで胸がいっぱいになって、それまでとは違った涙が溢れて来ました。



クータン、ありがとう。

私の元に来てくれて、私のために生きてくれて、ありがとう。

一緒に過ごして来た20年以上の暖かい幸せな時間を、ありがとうね。


クータンがいなくなってしまって、まだまだ寂しくて悲しくて辛いけど、でも、クータンとのたくさんの思い出があるもんね。

クータンがつないでくれた、たくさんの絆があるもんね。


寂しくなったら、またこのクータンの毛を撫で撫でさせてね。



クータン、本当に本当にありがとう。




ママ、がんばるから。

寂しくても、少しずつ笑えるようになるから。

きっとまたメソメソすることもあるけど、見守っててね。 クータン。



02calender.jpg



クータン。  私の大切なクータン。




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