三日坊主のつぶやき -cootanと私  そして める -

愛猫クータンが☆になって  2代目 める と お花の日々
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便りがないのは・・・

前回のアップから、放置状態ではや半月ちょっと。

特に何も書くことがなかったもので。

えぇ。


まさに



「便りがないのは いい便り」



ってね。




今日は書くことがありますよ~~~~


人生の初体験でございます。




信号待ちで、後ろから思いっきり追突されました。




いや~、瞬間、何が起きたか、わからないものですね。




幹線道路の右折ラインで、信号待ちをしていたんですよ。


で、バックミラーで、後ろの車のライトが動いたのが見えて、「ん?」と思った瞬間、


ど~~~~~ん!



てね。



そのはずみで、前に止まっていたタクシーにドカン!



サンドイッチ状態の、かわいそうな私の愛車ちゃん(T-T)



幸いなことに、痛みなどは今のところなく、ちょっと首に違和感がある程度。

明日まで様子を見て、何ともなかったら特に病院なども行かなくても大丈夫だと思います。




車も幸いなことに走行に支障はありませんでしたが、ちょっと悲しい状態です。


後ろのバンパーに亀裂が入り、フロントは前のタクシーに潜り込んでしまった(私の車は車高が低いので。族じゃないよ~)ため、ナンバープレートのフレームがぐちゃっとつぶれ、フロントに付いていたエンブレムが行方不明に・・・(涙)


や~ん、明日も明後日も仕事なのに、こんな状態で乗るのはカッコ悪い~~




ちなみに、追突したのはBMWのおばさま。

なんでも、直進と左折の矢印信号が出たのを、右折信号が出たとうっかり勘違いして、アクセルを踏んだんですと。


はぁ~?


前の車は見てないって話ですか?

よくわかりませんが、もちろんノーブレーキですから、結構な衝撃だったわけで。



私の車は古いので、エアバッグなんかついてなくて、よかった~(⌒o⌒;

エアバックが開いたりしたら、おおごとですよ。

逆にそれで怪我なんてことにもなったりしたら、大変(笑)



それにしても、びっくりしたな~~~~


誰かに言わずにはいられない感じ。


でも、母には言いませんけどね。

心配掛けるだけだから。

実際には怪我などはないと思いますしね。



さきほど、そのおばさまからお電話をいただきました。

現場で住所・氏名の交換をしたのですが、なんと、ご近所。

同じ町内の3丁目と6丁目ということがわかり、これまたびっくりですよ。



いやはや、人生何が起きるか本当にわからない。


気をつけなくちゃ~


といいつつ、オカマ掘られるのだけは、気をつけようがないもんなぁ(爆)





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母、還る

前回のアップから、あっという間に半年(爆)

いやはや、大変ご無沙汰してしまいました。

この間、ご心配くださったみなさま、ごめんなさい&ありがとうございます。



あ~、あっという間の半年でした。


前回の記事の後、取手の介護施設にお世話になっていた父は、

なんと!!

地元S区の特養施設に受け入れてもらうことが出来ました。


男性の二人部屋に、エキストラベッドを入れていただき、車で20分ほどの距離に落ち着くことが出来、本当にありがたいことです。



今日も行って来ましたが、本人もそこが気に入っているらしく、とても穏やかなボケ老人になっています(笑)




逆に心配だったのが、すっかり引きこもりになっていた母。

外が暑いから、ということもあったのですが、もともとどこでも車で移動する田舎暮らしで足腰が鍛えられていないので、東京の電車での移動なんて、はなから無理。
なので、どこに行くにもいつも私が車で連れて行っていました。

せっかく東京にいるのだから、と、月に一度は歌舞伎を観に行ったり、知り合いからチケットをいただいて宝塚を観に行ったりと、この機会を十分生かしてはいたんですけどね。


でも、やっぱりね。




田舎の方も、お年寄りはどんどん帰宅しているということで、母のお友達もみんな自宅での生活に戻り、「後はKさん(母)だけよ~」なんて言われると、どうも里心がついてしまったようで。


ただ、父がこちらで施設に入っているので、自分が帰ってしまうと私に父を押しつけてしまうことになると思い、気にしていたようです。

いや、世話って言ったって、時々バナナ届けに行くくらいだから(笑)




今回の震災や原発騒動では、大変な中にもいろんなことがいい方にいい方に転がって、「不幸中のBEST」な状態になったと思います。

後は、母が好きなように自分の人生の時間を過ごして欲しい。

そのことだけです。



人間、いつ何時どんなことが起こるか分からない。

そんなに残り多くないであろう母の人生、自分のために大事にして欲しい。



心からそう思いました。



で、28日の日曜日、母は家に帰りました。


すっかり太って8.4キロになったレオを連れて(爆)




レオも一時は、口内にガン?!!

なんて心配した時期もあったのですが、幸いなことにガンではなかったようで、すぐに元気を取り戻し、後は毎日みおんのお尻を追いかけてしつこく匂いをかいで怒られてみたり、たまには「うるるる~~~ん♪」なんてラブコールしてみたり。


嫌がるみおんに無理やり馬乗りになって、舐め舐めしたり。


みおんはみおんで、わざとレオを挑発して部屋中をすごい勢いで追いかけっこしたり、本当に仲良く喧嘩する二人でした。



もうしばらく会えないね~



母を福島駅まで送って、迎えに来ていた兄に引き継ぎ、私はそのままUターンして来ましたが、帰りの新幹線の中から、福島の山々の深い緑、青い空を見ていたら、なんだかこみ上げるものがありました。



何も変わっていないように見えるのに。




また一人と一匹の生活に戻りました。


母とレオがいなくなって、みおんはすごく甘えっ子になりました。

田舎では、レオも同じように甘えっ子になっているそうです(笑)



さあ、私もぼちぼち行くか。


まずは痩せなきゃ(爆)




またよろしくお願いします。












もっと怒濤の急展開

いやはや、世の中何が起こるか本当にわからない。

大地震と津波に襲われてから20日も経っていないのに、この間にどれだけ多くのことがあったことか。

いろんなことに怒り、いろんなことに感謝して。


でも、Mayu-☆家、やっとどうにか落ち着くことが出来たような気がします。



これまでの経過を、記録のために書き留めておきます。



3月11日(金)  午後2時46分   大地震と、それによる大津波が発生。

          父の入所している介護施設が倒壊。

          夜になって、父は奇跡的に救出されていたことが判明。

          施設が壊滅状態のため、自宅に引き取られる。


3月12日(土)  第一原発の爆発により、20キロ圏内の住民に避難指示。

          夜、兄が両親を連れて自主避難。(自宅は原発から24キロくらい)

          土地勘もなく、停電で真っ暗なため行き先が決まらず、川俣村で車中泊。
       
3月13日(日)  福島市に移動するも、行き先が決まらず、車中泊。

3月14日(月)  飯舘村草野小学校の避難所に落ち着く。

3月16日(木)  飯舘村一号館に移動。

3月18日(金)  レオをピックアップして東京に連れて来ていただく。

3月19日(土)  避難所の閉鎖に伴い、郡山の避難所に移動。
          (寝たきりの父がいるため、避難のバスには乗せていただけず。
           歩ける人だけ乗車OKとのこと。もちろんペットも不可)

          東京で、レオを引き取る。

3月20日(日)  取手市の介護施設で、父を受け入れていただけることに。

3月22日(火)  各方面のご協力をいただき、郡山から取手市の介護施設まで搬送していただく。

          その施設まで母を迎えに。


とまあ、時系列的にごくごく簡単に書くとこんな具合で、震災後10日ほどで、父と母は何とか落ち着くことが出来ました。

周りの方たちにとても良くしていただき、こんな状況の中では最高にラッキーな展開だったと思います。








今、父は介護施設の方で面倒をみていただいています。

取手まで搬送していただく日の朝、少し熱を出してぼんやりと意識がない状態になった父、到着した時にも呼びかけに全く反応せず目を閉じたままで、このまま寝たきりになってしまうのでは?と言うこちらの心配をよそに、翌日からは車椅子に座れるようになりましたし(かなり傾いていたりはしますが>爆)、笑顔を見せたりもするようになりました。

驚いたのは、怪我は頭だけではなかったこと。

施設に到着して、院長先生が診てくださった際、肩のあたりにものすごい打撲の跡がありました。

被災後11日も経っていたので、ひどく内出血していたのが黄色く変色して、かなり広範囲にそんな状態。
直後はずいぶん紫色になったでしょうし、父もだいぶ痛かったのではないかと思います。

頭の傷も、絆創膏を貼ってあったところ以外にも切り傷がありましたし、手の甲にも深い傷跡がかさぶたになっていて、津波の中から助け出していただく際に、どんなに大変だったか、改めて思い知らされました。

母から聞いた話によると、病院はてんやわんやの状態で、きちんとした引き継ぎもなく、とにかく家に連れて帰ってください、とのことで、病院の着物を着せられた状態の父を連れて帰宅したそうです。

もちろん父はずぶ濡れで泥をかぶった状態だったとのことで、髪も耳の辺りも泥だらけだったと言っていました。

まさに「九死に一生を得た」というところだったのでしょう。



取手市の介護施設では、診てくださった先生が、念のため肩のレントゲンを撮った方がいいとおっしゃるので、25日に肩のレントゲンと、脳のCTを撮っていただきました。

頭の方は脳内の出血もなく大丈夫だったのですが、肩の打撲はやはり鎖骨を骨折していました。

ただ、手術などの必要はなく、力をかけないようにしておけば直るとのことで安心しました。







私のところで一足先に落ち着いたレオですが、みおんがレオ兄ちゃんにシャーシャー怒ったのは、たった二日だけ。

3日目からは思い出したらしく、以前のように「うるる♪」と飛びついて行くようになりました。

レオさん、大迷惑(笑)

もう最近では、2匹でくんずほぐれつ仲良く遊んでいます。


ところが、そのレオにもまたまた大変なことが・・・



長くなるので、それはまた日を改めて。


2701beni.jpg



父が東京に来られた経緯 (3月20時点の回顧録)

以前書きかけてそのままになっていた記事を、今頃見つけました。

一体どんだけ放置していたんだ、ぢぶん(爆)

せっかく書いたので、もう半年も過ぎていますが、当時の日付のままで密かにアップさせていただきます(⌒o⌒;




怒濤の展開

前の記事をアップしてから、たったの2日しか経っていないのに、怒濤の展開がありました。


まず、レオのこと。


姪がツイッターで、ボランティアで避難所への物資の運搬を計画している人を見つけ、母や兄たちがいる避難所へも行ってくれるよう頼んでみたところ、快く引き受けていただけました。


その方は、若いのにお化粧品の会社を経営しているとのこと。

姪に言われてみてみたら、なんと!

私が今気に入って使っているファンデーションの会社でした。


こんな奇遇なことがあるんだ~

と、二人でビックリ。



姪がツイッターで避難所へ届けていただきたいものを伝えるやり取りをしている間に、ふと、避難所にいるレオをピックアップして、帰りに東京に連れて来てもらえないか聞いてみることにしました。

ダメ元で。


すると、「帰りには希望者も乗せて来るつもりなので、その兼ね合いもあるけれど、OK!」とのお返事をいただきました。



ありがたいことです~~~~~~m(__)m


レオも避難生活1週間。

ずっと車の中でストレスもたまっているでしょうし、何よりレオのことを心配する母たちの心の負担だって大きいはず。

そのうえ、もしこの後また別の場所に集団で避難することになったら、ペット同伴は禁止という話も出たとのこと。


え?それは、ここに捨てて行けってことですか?

この見知らぬ土地に???


いよいよ事態は切羽詰まっていたこともあって、ダメ元でお願いしたのですが、本当に良かった。



ということで、昨日仕事が終わってから、姪と一緒にその方のお家までレオを引き取りに行ってきました。



それにしても、ボランティアでそうして活動する方の行動力。

見ず知らずの私たちに対するその親切さ。

「親切」なんて言う軽い言葉では言い表せないくらいのご恩に、心から頭が下がります。

本当にありがとうございました。


世の中には、バイタリティーあふれる素敵な人もいるんだ。

私よりもず~っと若いのに。

てか、娘みたいな年齢なのに。

私も、自分で何とかしなくちゃと言う気になりました。


その後の動きについては、また続きで。








レオは、今、私のところでのんびり寝ています。

ただ、みおんがあまりにもおバカで、レオに唸ってばかり。

唸るどころか、「シャー!!」の連発で(爆


自分が田舎に帰った時には、黙って受け入れてもらっているくせに、避難の身の上のレオ兄ちゃんに「しゃー!」だなんて、ほんとうに恩知らずな みおん です。






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